藤崎五右衛門翁碑

 藤崎3代目の五右衛門翁は蛇島の眼医者・間島作庵翁と共に、排水口のない神西湖の湖害を除こうとして差海川の開削を計画し、松平藩の許可を得て着手したのが、貞享3年(1686)であり、大梶七兵衛の協力により翌年竣工した。これにより湖畔6ヶ村に、380町歩の新田ができ、藩は2,000石の増石となる。
 五右衛門翁は差海川開削に生命を賭け、完成した貞享4年(1687)に51歳にして没した。五右衛門翁の功績を讃える顕彰碑が生家近くの元村役場横にあり、JAと地元主催で慰霊祭が8月10日におこなわれる。